前回の続きです。
以前、先輩のオボウサンから教えてもらった「やらない方がよい2種類のご祈祷」のうちの1つ目です。
それは誰かを攻撃するためのご祈祷です。
日本密教1200年の歴史の中、いろいろなことが求められた時代もあったかもしれませんが、現在は行うべきではないと思います。
ところが、とらえ方によっては誰かを攻撃するためのご祈祷になってしまうものが、現在も身近に存在します。
上にも挙げた「合格祈願」です。
または選挙などの「必勝祈願」もそうです。
定員の決まっている学校で、誰かが合格すると言うことは、必ず不合格になる人がいると言うことです。
「ある人の合格を願う行為」は「誰かの不合格を願う行為」の裏返しです。
ですから、うちのお寺では合格祈願をお受けするときには
「精神も体調も含め、今までやってきたものをすべて出し切れますように」
「もたらされる結果が、長い目で見ると、その人の将来や、広くはこの社会が良き方向に向かうものでありますように」
という気持ちで本尊様に橋渡ししています。
選挙も同様です。
というか、選挙の方が、さらに「相手を落として自分が勝ち取る」という色合いが強いですね。
特に市町村長など、一人を選ぶ場合は1対1の決戦になることも多く、対立候補がどちらも必勝祈願を申し込んでくるという場合だってあります。
(合格祈願では、同じ学校を受ける全員が申し込みにくるということは、まずありえないのですが・・・。)
そういう場合には、私情は挟まず、どちらも同じ気持ちで本尊様にお願いするようにしています。
「この町にとって、より良き人が選ばれますように」と、本尊様にお任せしています。
次回は「やらない方がよい2種類のご祈祷」のうちの、もう一つをご紹介するつもりです。→お願い事(その3)へ