数年前になりますが、、当時、日文研(国際日本文化研究センター)の所長をなさっていた河合隼雄先生(現文化庁長官)の講演を拝聴する機会がありました。
その講演で、日本における仏教、欧米におけるキリスト教の関わり方が、それぞれの国の家族のスタイルと密接に関わっているという、大変興味深く、また分かりやすいお話を聞くことが出来ました。
河合先生は、日本の家族のふれあい方は「いろり文化」と名付けておられます。
これまでの日本は、二~三世代同居の大家族が多く、いろりを囲むように家族全員が集まって、食事をしたり団らんをしたりしていました。
そこで行われる宗教教育の中心は、お爺さん、お婆さんです。
「ご先祖を大切にしないといけない」とか、「お仏壇のお祀りの仕方はこうだ」とか、「法事やお葬式の参列の仕方はこうだ」など、お爺さん、お婆さんがお寺に行って聞いてきた話や、自分の親から教わった話を子供や孫に聞かせるという形で家庭内の宗教の伝達が行われてきました。
本来、僧侶がしなくてはならない役割を、家庭内ではお年寄りが代わってくれたとも言えるわけです。
それに対して、欧米の家族のスタイルは「個室文化」であると河合先生は名付けておられます。欧米ではそれぞれが自分の部屋を持ち、個を大切にするスタイルが早くから確立されているのです。
宗教教育においても、家族間の教育は全く行われず、個人個人が教会との結びつきを持っています。
つまり、たとえ家族内でケンカをしていても、日曜になると各自で教会に行き神父様のお説教を聞くのです。
このように、家族のスタイルの違いにより、日本と欧米では宗教の伝達方法に大きな差がありました。
しかし、近年の日本も、核家族化、個を大切にする生活スタイルに変わってきました。それにともない、いろり文化に基づく「お年寄りから子供や孫へ」という伝達が機能しなくなり、仏教も、家庭内で教えを伝える手段を失ってしまったのです。
その結果、「(仏教に限らず)自分の家の宗教を知らない」とか、「親が亡くなった時、どの様にして良いか分からない」という若い世代が増えています。
この講演を聴き、今後はオボウサン自らが、家だけではなく人と結びついて仏教の教えを発信していく必要性を再認識しました。
話すのが得意ではない私が、法事の後にご家族の前で必ずお話をするようになったり、寺報やサイトを充実させなければと思ったのも、そのころだったと思います。
それと同時に、もし人との結びつきを持つことができてきたなら、仏教の教えより、恩や感謝の心や家族の大切さを再発見して頂き、逆に、断絶した世代間の対話の橋渡しが出来れば素晴らしいなと考えるようになりました。
これまで「家」に支えられてきた仏教が、逆に「家族」に対する恩返しをしていければいいな…などと考え、かなり理想的なことを書いているのは百も承知ですが、必ずできることはあるはずだと思っています。
余談になりますが、私の住んでいる所はまだまだ田舎で、物知りの元気なお年寄りが沢山住んでいるところです。
そういう方々が地元のお葬式や法事を取りしきってくださるわけですが、時には地元の風習や個人の見解が入って、純粋な仏教の教えではないやり方が行われる場合もあります。
そういう場合のオボウサンは、その方の言っていることが明らかに仏教の教えに反していなければニコニコ笑って見ている事が多いような気がします。
些細なことで恥をかかせたくないという気持ちと、何でも受け入れる古き良き仏教の大らかさなのでしょうか。
そして、そんな時、オボウサンが
「そういう考え方もあると思います。」
と言ったとすれば、それは99パーセント
「間違ってはいませんが、私が教わった(仏教の)考え方とは違います。」
という意味です。参考までに…。