雑感20200628ー録音、録画データと加持力

毎年彼岸ごろ、地元の特別養護老人ホームにお伺いして一年間に亡くなった入居者のご供養をさせていただいていたのですが、本年はコロナウィルスの影響で老人ホームにお伺いするのはリスクが高いと判断し、事前に法要を当山で録画してその様子を施設内で上映するという方法を採りました。
当日はホームの入居者の皆さんが一心に拝んで頂けたようで、滞りなく執行でき本当に安心しました。

また、当山では、勤行次第を録音したCDを準備しており、ご希望の檀家さんに差し上げています。
しかし、こちらのCDは、檀家さんに「これを仏壇に向かって流しておけば良いですか?」と聞かれたときには、「このCDは、ただ仏壇に向かって流すものではなく、ご一緒に唱える時のサポート、またはお勤めの仕方を覚えるものとしてお役立て下さい。」とお答えしています。

この二つを比べ、「同じ録音や録画を後で流すのに、なぜ老人ホームの方はただ流しても大丈夫で、勤行CDの方はそれだけではダメだと思ったのだろう?」とあらためて考えたとき、自分なりに納得出来る答えが見つかりました。

密教で大切な「三密加持」つまり、身密(からだ)、口密(ことば)、意密(こころ)というキーワードの、特に意密の部分です。

前者の老人ホームでの彼岸供養の録画は、その法要のためだけに収録されたので、ビデオの中にはその一回の法要の為だけの「意密」が込められているために、それ自身に三密が備わっているからビデオ上映だけでも大丈夫なのではないか。
(もちろん共に拝んで頂ければそれに越したことはないですが。)

次に、後者の勤行CDは、いつどこで使われるか分かっていない以上、「誰のために」、「何のために」拝むのかという想いはCDには込められていないので、「CDと一緒に誰かが心を込めて拝む」ということを必ず補わなければいけない。

と、考えると結構スッキリしました。

これは、いま注目を浴びているリモートやライブ配信にも関係のあるテーマだと感じます。

どんなに離れた場所からでも身口意の三密を持ってすれば三密加持の加持力は生まれると思います。
しかし、それを保存してユーチューブ等にアップして再生しても、その録画には意密は込められていないと考えています。

そのような理由から、時折ライブ配信は行っても日々の勤行は撮り貯めずに削除させて頂いております。

但し、信仰目的ではなく、大祭などの行事の記録のためのものは削除せずに保存しています。
視聴して全く御利益がないとは思ってはおりませんが、もしかしたら2密分の御利益?なのかなと思います^_^

こちらは、例えば、待ち受け画面などのコピー可能な画像データでも同じ解釈ができると思います。

その画像に特別な何か「形としての力」や、後から「信じる力」加わったとしても、最初から備わっている「心」の部分はコピーできていないのではないかと思います。

それよりも、直接、護供養(まもりくよう)や開眼作法を行ったオリジナルのもののほうが、コピーに比べて込められているものが違う...というか、そうであって欲しいと思っています^_^