緊急事態宣言がさらに延長になりました。
先の見えない自粛による「経済の疲弊」はさらに深刻になり、やるべきことは多そうです。
一方、先の見えない自粛による「心の疲弊」、ストレスの方も大変かもしれませんが、まだ一ヶ月やそこらの自粛なら、僧侶であればその位の辛抱は既に経験している者が多いかと思われます。
自分にとっては本山の学院の一年がそうですが、それなりの修行を経験した者であれば、量(時間の長さ)においても質(ストイックさ)においても、また、社会とのつながり(情報)においても、当然今の自粛より遙かに不自由な生活が続いていたわけで。
自分をしっかり追い込んで「これ以上続くとどうなるか分からない」の向こう側まで知っているならば、僧侶は今の自粛状態で最も普通でいられる存在のはずです。
このあたりにも、「僧侶だからできること」のヒントが隠されているように思えるのですが...。