本日、イタリアでは死者が一万人を超え、医療崩壊がさらに進んでいます。
日本での死者は、現在クルーズ船乗員を併せて65名です。
今現在、この数字の違いで考えられる理由は何でしょう。
時間の流れの差でしょうか。
日本の方が感染が始まったのが遅かったのか、または広がるスピードが遅いのか…。
しかし、「治療法のない疫病が上陸した」という事実がある限り、このまま何もしなければ、いずれ日本はイタリアと同じような状態になると考えるのが自然です。
巷では、「今までこんなことはなかった」、「目に見えないので実感がわかない」などという正常性バイアスに囚われたコメントをよく聞きます。
しかし、教訓となる事例や予測可能なデータがあるのに、それに注意を払わず、いずれ「想定通りのトラブル」に巻き込まれるのは想像力の乏しい者のすることだと感じます。
色々な意見があるとは思いますが、どのような意見を持っていても、この問題に正面から向き合い、命の問題と経済活動を天秤に掛けたりしながら自分の正義を見つけようとしている方は理解できます。
しかし、一番恐ろしいのは無関心に世の中に影響を与えてしまっている人たち。
特に、今回のウィルス問題では、「みんながやっているから別にいいのでは」とか、「自分一人では世の中は変わらない」と考えている人たちによって世の中が動いていくことが一番危険なことだと思います。
以前のブログでも書かせて頂きましたが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」という映画では、過去に行った主人公が、2本並んでいる小さな苗木のうちの1本をを踏んでしまい、現代に帰ってくると、そこにあったショッピングモールの名前が「二本松のモール」から「一本松のモール」に変わっていたという部分があります。
将来大きな松に育つはずだった二本のうちの一本が主人公のせいで無くなってしまったからです。
自分のささやかな行動が、未来の施設の名前を変えるような結果と繋がっているという一例です。
身近な話でも、目の前の点滅している信号を渡るか止まるかでも、人生は変わっています。
その信号を一つ待ったおかげで久しぶりに再会できる人がいたかもしれないし、その人と話し込んだばかりに、別の誰かと再会する機会が無くなるかもしれない。
そんなことからでも、その人や、関わった人たちの「これから」が変わっていきます。
このように、自分が何かを行うとき、自分が行った全ての行動が世界を変えています。
私たちはまちがいなくこの世界の一部であり、私たちの時間はこの世界の時間と共に動いているのです。
今回のウィルス問題でも、様々な人の行動が未来を変えていきます。
その中でも、「無症状での感染」が、無自覚で無関心な人たちの行動により決まっていくというのは大変恐ろしいことです。
今できることは、感染のスピードを遅らせる努力をすること。
それが、医療崩壊を防ぎ、終息させる手段が見つかるまで命や社会を存続させることに繋がります。
大切なことは、
今世の中で起こっていることは自分に関係あることだと受け止め、
自分の行動が未来を変えていることを理解して、
「不要不急ってなんだろう」、「自分や大切な人を守るには何をすればよいのだろう」などを真剣に考え、
(人によって答えは異なると思いますが、)これからすべきことを決めていくことなのだと感じます。
追記(3月30日)
個人的な考えでは、不要不急の外出自粛という「手段」を要請した「目的」は、リスクを抑えることであり、人が楽しみを捨てることを目的としているわけではないと考えています。
今は、それぞれが「本当に安全な楽しみ方とは何か」を考えていくことが望まれていると感じます。
もちろん、必要火急なことも、最善の形で行動するのは当たり前のことですが。