本日、終活についての取材を受け、日頃思うところを話させていただいたのですが、その際、以前書いて「お蔵入り」になっていたものがあるのを思い出しました。
夜に勢いで書いたものなので、どうしようか迷い保留していたのですが、アップしてみます。
成仏責任法?
最近、製造物責任法(PL法)について考える機会がありました。
これは、「製造物の欠陥により損害が生じた場合、それを製造したものが賠償責任を負う」ということを1995年に定めた法規です。
製造業以外の人にはあまり関係ないものかと思っていたのですが、私たちが作ったものでも、誰かにそれをあげて、そこで何らかの事故が起こったら責任が生じてしまうようです。
責任の所在が大切にされる時代になってきましたが、ふと、これを葬送の世界に当てはめてみるとどうなるのだろう、と考えてみました。
現在は、様々な宗教、無宗教の葬儀が行われています。
葬儀の目的の一つは、死者をあるべき場所に安らかに送ることと考えた場合、PL法に倣って「葬送の不備により死者に損害が生じた場合の責任」、つまり「製造物責任」ならぬ「成仏責任」は誰に降りかかるのでしょう?(笑)
宗教者、葬儀社、遺族のうち、宗教で行う葬儀ならば明らかに宗教者に責任があると思います。
葬送を取り仕切るということは人の死の責任を負い、遺された者への安心を約束するということ。私も自分が引導を渡した方に対する往く先への信念、覚悟はあるつもりです。
目の前の生きている人間が「良いお葬式だった」と喜ぶことだけを考えるのではなく、亡くなった方が安らかに旅立てるよう、自分が授かった全てを用いて相手を送ることが葬送だと思っています。
私にとって、初めての葬儀とは、自分の修行だけを考えていて良い僧侶から、誰かのために自分が身につけたものを使う僧侶になるのだということを突きつけられた出来事でした。
30年近く経った今でも、葬儀の後には特別な疲れがありますし、これから先も慣れてはいけないものだ思っています。
では、宗教を用いない場合の葬送については、死者の旅立ちに対する責任は、誰が全てを背負い、引き受けるのでしょうか。
葬儀を計画した葬儀社なのか、それともそこに依頼した遺族なのか…?
「お別れ会」という名前は、この世界からお別れする所までだけを考え、別れた先のことは無関心な名前のように感じます。
「送る会」という名前の方が行先を感じられる名前ですが、宗教を用いない葬儀の場合、明確な「安らかな往き先」をイメージして送っておられる方はどれだけいらっしゃるのでしょうか…。
ところで、製造物責任法は英語でPL(product liability)法。
もし成仏責任法などというものがあるとすれば英語で何になるのかと考え、「成仏」の英訳をGoogle翻訳で調べてみると…
成仏 → adult Buddha(アダルト ブッダ)= 大人の仏
という、なんだか怪しげな訳が出てきました。
成仏の成が、成人の成の意味で訳されたのでしょうね(笑)