「如実知自心(にょじつちじしん)」とはありのままの自分を知ることです。
「何ができるか?」という可能性を見つける自分探しはもちろん大切ですが、
最近は、「人はそれほど強くない、過ちを犯しそうになる生き物だ」ということに向き合うのも大切だと感じます。
「できないことは悪」と決めつけてしまえば、「人は何に弱いのか?自分はどういう部分に弱いのか?」を見つめる機会、本当の「如実知自心」を見失ってしまうような気がします。
歳を重ね、心や体が思い通りにコントロールできなくなり、昔の自分と比べて落ち込む方もいると思います。
または、性格や、パーソナリティ障害等で、物事を生きづらい方に考え、他の誰かと比べて悩む方もいるかと思われます。
私自身も、「正しさ」を追い求めて苦しんだ部分がありました。
自分を「ハンドルをまっすぐにしても右に曲がる車」だとした場合、以前は、「ハンドルをまっすぐにした時まっすぐに走る正しい車」に何とか戻そうとして、戻らないことを苦しんでいました。
今は、「心のハンドルをいつも少し左に切っていれば、まっすぐ進む」ということを受けいれて、「そういう車のままでもまあいいや、いろんなクセがあってもいいかな」と思えるようになり、かなり楽になっています。
(この場合、完璧からの減点法ではなく、不完全からの加点法の方が心には優しいようです。)
また、自分の問題だけでなく、環境によって起こる失敗や誘惑の種類も違うと思います。
仕事を例にとっても、お金を扱う仕事、信頼を扱う仕事、異性の接点が多い仕事、民間、公共など、「どれが上下か善悪か」という観点ではなく、「必ずしも完璧ではない人間という生き物が、どのようなことに関わるとどのようなことが起こるのか」を、それぞれ意識すれば、何が必要かにたどり着けると思います。
自分の強さや弱さを見つめ、受け入れ、そして自分が置かれた環境を見つめ、何かを選んでいくことの大切さを感じている今日この頃です。
おまけ
「ヒューマンエラー」という言葉は、「間違うことは悪だ」という考えではなく「人間なんだから間違うこともある。」という前提で物事を考えることから生まれた言葉です。
だから、間違いを責めて反省させ、「次は気をつけろ」と改心させて終わるだけでなく、間違った理由を探り、間違いが起こらない方法を学んでいったり、間違っても大事にならないような安全装置を設けることが大事、という考え方につながります。
さらに余談ですが、「フールプルーフ」とは、「間違いが起こらないような設計」というような意味。
この言葉を初めて知ったのは、子供の頃。
以前のカセットデッキは、テープを上書き録音しないように、録音するときには赤い録音ボタンと再生ボタンを同時に押さないと録音が始まらないようになっていましたが、そのシステムをそう呼ぶと教えてもらったときです。
しかし、foolは馬鹿、proofは証明で、「馬鹿でも間違えないように証明されている」という語源を知ったときは、内容は優しくてもかなり愛のない言葉だと感じました(笑)