現在の終活について、思うところをまとめてみます。
今年の4月におこなった講演のパワーポイントの資料を手直しして使っています。
現在、終活として行われていることは、以下の図のようなものだと思います。
これらを、時の流れによって3つに分けてみました。
この分類、「生の準備」、「死の準備」については特に思うところはないのですが、「死後の準備」について少々気になるところがあります。
現在、世の中には、「終活」以外にも、「婚活」、「就活」、「妊活」など、他にも沢山の「○○活」がありますが、同じように時の流れで3つに分けた時、「終活」だけは、最後の部分が他と違うように感じます。
「婚活」との比較を例にして下の図をご覧頂くと、
となります。
「終活」だけは、「自らのその後」を考えていないように感じます。
「分からないものを考えても仕方ない」と思っているのかもしれませんが、本当に近づいてくると一番不安になる部分がこの部分であり、一番僧侶がお役に立てる部分です。
ですから、先ほどの図で、
「死後の準備」の中に、自分の往き先への心構えや、自分の生死観を持つことがそろってこそ、終活なのだと思います。
最近は医療の現場に臨床宗教師という宗教家が導入されてきていますが、終末医療だけに限らず、健康な時でも、生きること、死ぬことに向き合う機会が増えていけばよいと願っています。
「生死観」は仏教以外の宗教や、色々な書物、人との出会いによっても学ぶことができるかもしれません。
僧侶としては、仏教の生死観で「安心(あんじん)」を与えられることが一番なのですが、どんな形にしても自分の信じられる死生観を持って欲しいと願っています。
そして、普段からこのようなことを一生懸命考えていれば、いつか、自分はどうして欲しいかの答えが見えてきます。
よく、「個人のご希望に沿ったサービスを提供します。」という言葉を耳にします。
正直なところ、墓に入っているという状態が、まったくイメージできていない人相手に、「お墓はどうしますか?」とか「同じ墓に入りたいですか?」という質問自体どうかと思います。
本人がしっかりしたイメージを持っていればその通りにしてあげるのが正解だと思いますが、わからない人の言う通りにするというのは無責任な気がします。むしろ、しっかりした考え方を持った上で判断できるようアドバイスしてあげるのが優しさだと思います。
また、アドバイスを求める側は、
葬儀やお墓や永代供養、その他の生死観について、どのような考えを持っているのか?
考え方が一貫していて矛盾はないか?
などを確認し、自分の往き先を託すに信頼して良い相手かを判断していかなければならないと思います。
ちなみに、当ブログ内の終活、お墓等に関連する記事です。(→クリック)
公式サイト内の、終活、お墓等に関連する記事です。(→クリック)
生死観の参考にして頂ければと思います。