雑感(20170730)ー僧侶の多様性

人は一人では生きていけない
ではなく
人は一人では生きていない

自立というのは誰の力も借りずに生きていくということではなく、自分が様々な方々の力を借りながら生かされていることに気づき、それに感謝しながら今の自分が出来ることをできる形でお返ししていくこと。

そのためには、「世の中からのインプットinput=入力)だけでなく、世の中に対してアウトプットoutput=出力)ができてているか?」ということ、つまり、もらってばかりではなく、もらったものを返したり伝えたりできているかが大切。

僧侶としては、自利利他がそれにあたるのだろう。

教義、知識をインプットしたいだけであれば、僧侶にならなくても仏教徒・信者であればよい。
さらに実践的なものをインプットしたいのであれば、得度して修行僧に。

しかし、世の中に関わる宗教家としての僧侶を選ぶならば、教化布教育成などのアウトプットが必要。
特に、阿闍梨位を持っている場合は、後継者を残さないことは、それだけで大きな罪(断種の罪)になると言われている。

それにしても、世の中の職業は、職種を聞いたら、どのような仕事に従事しているか想像できるものが多いが、僧侶に関しては、「私は僧侶です。」と言われても、活動のスタイルは様々。

・戒律を守り、或いは苦行を積み、その生き様で信仰を集める
・社会や地域に溶け込み、共に活動して教化する
・現世利益を中心とした加持祈祷をする
・亡くなった方のための廻向を中心とする
・法話や布教など、言葉で表現する
・著作、blog等、文章で表現する
・絵や書、彫刻などの創作で表現する
・御詠歌等、音楽で表現する
・団参で、お遍路など巡礼を先導する
・滝行、瞑想などの修行体験
・仏教の研究と発表
・正しい法を後世に残す活動(伝授等)
・宗派や本山など、宗教界を良くするための活動
・目の前の人に寄り添う救済活動
・精進料理、バーやカフェ、それ以外にも別の事業を通じて人と関わる機会をもつ
・その他

これ以外にも、自分の得意なものに「○○を通じて、その中に流れる仏教の教えを見いだし、学ぶ」と、くっつければ、様々なものが布教の手段となりそう。
一口に僧侶と言っても、アウトプットのスタイルのなんと多様なことか…。