「これって仏教ですよね・・・?」シリーズ第2弾です。
バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985 米)
タイムマシンものです。
親友の老科学者の発明したタイムマシンで過去に飛ばされた主人公が、無事「今」に戻るため、そして不幸な未来が訪れる老科学者の運命を過去から変えるためにガンバる話です。
これが仏教だと感じるところは、過去の小さな「行い」が、戻ってきた現在に変化をもたらしているところです。
例えば、
過去に行った主人公が、カーチェイスで2本並んでいる小さな苗木のうちの1本をを踏んでしまったら、現代に帰ってくるとそこにあったショッピングモールの名前が「二本松のモール(TWIN PINES MALL)」から「一本松のモール(ONE PINE MALL)」に変わっていたという部分があります。
映画の中ではストーリーに関係ないところでこんな小さなネタがいっぱい仕掛けられていて、遊び心満載です。
これは、過去→現在の話ですので、これを「過去に戻って人生をやり直す話」だと考えた場合、最も宗教的ではない話になります。
歩んできた過去は帳消しにはできませんので(笑)
しかし、これを現在→未来と考えれば、今やっている何気ないことが、未来の地名を変えるくらいの大きな影響を及ぼすかもしれない…ということになります。
仏教では、運命とか宿命とか、そういうものより因・縁・果という考え方が大切にされています。
因果は、縁によって決まるという考え方です。
同じ種(因)でも、水のやり方、太陽の当たり方、他にも様々な(縁)によって、咲く花や実のなり方(果)は、同じにはならないということです。
身近な話、目の前の点滅している信号を渡るか止まるかでも、人生は変わっているんですよね…。
その信号を一つ待ったおかげで久しぶりに再会できる人がいたかもしれないし、その人と話し込んだばかりに、別の誰かと再会する機会が無くなるかもしれない。
そんなことでも、その人の「これから」が変わっていきます。
「風が吹けば桶屋が儲かる」ではありませんが、このように、自分が何かを行うとき、自分が行った全ての行動が世界を変えています。
私たちはまちがいなくこの世界の一部であり、私たちの時間はこの世界の時間と共に動いているのです。
そう思うことができたなら、「この世に生きていても仕方ない」とか、「この世に自分の存在を示すために大きな犯罪を犯す」とか、そういうのがなくなっていくと思うのですが…。
因・縁・果のお話は、いのちの電話の機関誌に原稿を依頼されたとき、アプローチの一つとして書かせていただきました。
(もちろん、このようなお話を聞いていただける状態で電話をかけてくれる方ばかりではないことは承知していますので、あくまでもアプローチの一つとしてです。)
また、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のお話は、以前ある方へお返事したメールの文面に手を加えたものです。
様々な人たちが、毎日、様々な縁を作り出している。
決まった未来などありません。
ご自身の生きてきた道、「ないもの」を後悔するのではなく、今のご自身に「あるもの」を大切に感じながら、よりよき日々を送られることをお祈りしています。