雑感(20170904-2)

如是我聞ーある師に教わったこと。 僧侶の役目は、人として誰かの「一番の存在」になることではなく 誰かの「一番の場所」に戻れるようにお手伝いをすること 「私自身」ではなく、「私が伝えた何か」が、その人を支え続ければそれでいい だから、来るものは拒まず、去る者は追わず ずっと、ここに います The r 続きを読む 雑感(20170904-2)

雑感(20170904-1)

仏教には、「対機説法」という言葉があり、これは「相手の能力や・素質に合わせて法を説く」という意味です。 これには、「どこまで理解してもらえるか」という、レベルの問題や、「ここまで分かるようになったなら、次はこれを理解できるだろう」というレディネスの問題だけでなく、サッカーの好きな人にはサッカーに、将 続きを読む 雑感(20170904-1)

雑感(20170901)ー基礎と臨床

医学には、基礎医学と臨床医学という分類があります。 基礎医学・・・未来に向けての研究、本質を明らかにしたり、新しい発見を目指す。 臨床医学・・・実際に現場で患者を相手に医療行為を行う。 これと同様に、宗教も基礎宗教と臨床宗教という分け方もできるのではないかと、ふと思いつきました。 仏教で言えば、 基 続きを読む 雑感(20170901)ー基礎と臨床

本来無東西?

置かれた場所が変わった方へ 自分の心の中心が 元いた場所から動かなければ 貴方が立ってるその場所は いつまでたっても「遠いところ」 そこが中心と思えた時から 「ただいま」と言える場所になる 紙の地図なら端っこの場所も 丸い地球にまっすぐ立てば いつでもそこは世界のまんなか 今いる座標を0にして そこ 続きを読む 本来無東西?

修験道の袈裟のお話

一昨日、当山の箸供養柴灯護摩、無事厳修することができました。 土用の真っ只中でしたが、時折小雨降る比較的涼しい天気で、暑すぎなかったことは本当によかったです。 以前、真言僧侶のなり方について少し書かせて頂きましたが、今回は、柴灯護摩にちなんで修験道の袈裟についてご紹介致します。 修験の袈裟には大きく 続きを読む 修験道の袈裟のお話

雑感(20170730)ー僧侶の多様性

人は一人では生きていけない ではなく 人は一人では生きていない 自立というのは誰の力も借りずに生きていくということではなく、自分が様々な方々の力を借りながら生かされていることに気づき、それに感謝しながら今の自分が出来ることをできる形でお返ししていくこと。 そのためには、「世の中からのインプット(in 続きを読む 雑感(20170730)ー僧侶の多様性

結衆の名誉住職様の本葬儀

昨日、結衆(お寺の世界の町内会のようなもの)の寺院の名誉住職様の本葬に、職衆として参列しました。 寂年91歳(数え)の御遷化です。 以前も書かせて頂きましたが、 真言宗で、お葬式の際、亡くなった方に対し、お導師様が行う作法を「引導作法」と言いますが、これは亡くなった方に戒律を授け、仏さまの弟子にして 続きを読む 結衆の名誉住職様の本葬儀

雑感(20170712)

「後悔」と「焦り」と「不安」について思うこと。 後悔は、「あんなことをしなければ良かった」、「こんな風にすれば良かった」といった、過去に対する感情。 焦りは、「こうなるために、(又はならないために)、今、何とかしなければ!」といった、現在に対する感情。 不安は、「こうなってしまったらどうしよう?」、 続きを読む 雑感(20170712)

真言僧侶になるには

これまでに何度も「お坊さんになるにはどうしたらいいのでしょう?」というご質問を受けることがありました。 一口に僧侶になると言っても、色々な段階があり、なかなか説明が難しいので、一度自分の頭の整理も兼ねて、僧侶としての資格取得の過程をまとめてみたいと思います。 ここにご紹介するのは真言宗の僧侶としての 続きを読む 真言僧侶になるには

選択と双修

以前、公式サイトの寺報で、「二利双修」という話をさせていただきました。(菩提心第30号) 自分を高めていくことを自利(じり)、誰かのために何かを行うことを利他(りた)といい、その二つを共に行っていくこと「二利双修(にりそうしゅう)」が大切だという話でした。 寺報は、前半分の「二利」中心のお話でしたが 続きを読む 選択と双修