現在のウィルス感染拡大の状況の中、飲食業においては来店は激減し、代わりにデリバリーやテイクアウトに移行するなど、必要とされる形が移り変わってきていますが、当山の中でも色々な変化が出てきています。
毎年彼岸ごろ、地元の特別養護老人ホームにお伺いして一年間に亡くなった入居者のご供養をさせていただくのですが、本年はコロナウィルスの影響で、さすがに二つ返事でお伺いしますとは言えませんでした。
残念ながら本年は中止ということも考えたのですが、何か良い方法はないかとホームのスタッフさんと打ち合わせをした結果、事前に法要を当山で録画し、その様子を施設内で上映するということになりました。
録画の際、お焼香のタイミングを伝える合図等も事前に決めておき、「右手が挙がったらお焼香のアナウンスを入れてください。」などの細かい部分も打ち合わせた結果、滞りなく執行できたとのこと、本当に安心しました。
また、以前安産祈願に来山され後日無事出産された方が、お礼参りとお箸初めを兼ねてご来山を望んでおられたのですが、この様な状況なのでご来山を諦めてネットでのお申し込みに変更されました。
それ以外でも、以前よりも確実に、お電話やファックス、そしてインターネットでのお申し込みに変更される方が増えてきています。
今は、普段当たり前だったものが縮小や中止に追い込まれてしまっている中、寺院においても、今回の老人ホームのような収録形式やネット等の申し込みのように、「できないから中止」を選ぶのではでなく、形を変えて安全に行える方法があれば、そちらを受け入れられる柔軟な対応の必要性を感じています。
もしこれから先、県をまたいだ外出が規制されるようなことがあれば、県外の法事には、現在行われているネット会議のような形の遠距離法事などというものも生まれてくるかもしれません。
最近、YouTubeチャンネルを開設したり、モバイルのワイファイを契約したり、他にも様々なものを導入しているのも、もし必要とされたとき何でも対応できる準備だけは整えておこうと考えているからです。
しかし、これはあくまでも手段の話で、最終的に望まれるのはその中身です。
例えば、通販サイトではネット注文が簡単になり多くの選択肢の中から選べるようになったからこそ、最終的には「価格に応じたクオリティかどうか」など、本人にとって満足度が高いものが選ばれます。
グルメサイトでも同様に、まずは提供される食事の評価が参考にされ、そして、実際に食べてみて美味しければリピーターになるなど、最後は内容で評価されます。
ですから、寺院においても、
手段としての「皆様が望むのであればそれに対応出来る寺院であること」を充実させるとともに、
中身である「望んでもらえる寺院とは、しっかりとした信仰の地盤がある寺院であること」が必要なのだと感じます。
そこは「変わってはいけないところ」だと思います。
以前ブログにて、世の中の職業は職種を聞いたらどのような仕事に従事しているかある程度想像できるものが多いけれども、僧侶に関しては「私は僧侶です」と言われても、活動のスタイルは様々...という内容の投稿をさせて頂いたことがあります。(リンクはこちら)
・戒律を守り、或いは苦行を積み、その生き様で信仰を集める
・社会や地域に溶け込み、共に活動して教化する
・現世利益を中心とした加持祈祷をする
・亡くなった方のための廻向を中心とする
・法話や布教など、言葉で表現する
・著作、blog等、文章で表現する
・絵や書、彫刻などの創作で表現する
・御詠歌等、音楽で表現する
・団参で、お遍路など巡礼を先導する
・滝行、瞑想などの修行体験
・仏教の研究と発表
・正しい法を後世に残す活動(伝授等)
・宗派や本山など、宗教界を良くするための活動
・目の前の人に寄り添う救済活動
・精進料理、バーやカフェ、それ以外にも別の事業を通じて人と関わる機会をもつ
などなど。
最近では、「バイオリンの音色で精神的疲れを癒やしてもらいたい」という本山のTwitter投稿でバズったご近所の県の同じ宗派のお坊さんをご存じの方も多いと思いますが(地元にもお呼びしたことがあるのですが、本当に素晴らしいですね。)、
この様な時代だからこそ、それぞれの僧侶の特性、寺院の特性を生かした活動が求められているのだと思います。
昨今の状況は、「自分が護持しているお寺はどんなお寺なのか?自分や、このお寺だからできることは何か?」など、本質的なことを思い出す機会となりました。
当山の「ならでは」は、思いつくところでは、やはり絶対秘仏として護持されているご本尊「金毘羅大権現様」の威力(いりき)、そして開山以来絶やしたことがないといわれる「護摩祈祷」でしょうか。
金毘羅大権現様は薬師十二神将の筆頭で、本地である薬師如来様と同じ願いを持ち、昼夜十二時(=いついかなるときも)守護をされている仏さまです。
薬師様の御利益(病気平癒、諸難消除など)は言うまでもないことかと思います。
護摩祈祷については、よく「毎日2回は大変でしょう?」と聞かれますが、毎日なのでイベントとしての気負いなどなく、ただ日常としての護摩を続けていくことが「いつも通りの当たり前」となっています。
しかし、それこそが信仰の地盤になっていると信じています。
時折、信者さんから「緊急入院で明日手術が入ったので護摩を焚いてくれ」といったお電話がかかって来ることもあるのですが、慌てて準備することなく、その夜から本尊様にお願いを伝えることができるなど、「毎日が当たり前」が、「いつからでも、いつまででも」の安心感を持って頂けていると信じています。
これからしばらくは実際のお参りを自粛される方も多いと思いますが、お電話やメール(リンクはこちら)等を利用してご自宅での御祈願に切り替えられた皆様や、新たに御祈願を希望される皆様におかれましては、これまでと変わらず、いえ、これまで以上に権現様の威力が皆様に伝わり、所願成就のご加護や「安心(あんじん)」が得られますよう毎日の御祈願をさせて頂きます。
そして、現在の状況が終息し、一日も早く皆様が身体と心の健康を取り戻され、安心して暮らせる世の中に戻りますよう、心よりお祈り致します。
こちらの護摩木を毎日焚き続けます。
そして、他の寺院や僧侶の皆様、また色々な方面での「ならでは」のご活躍に感謝し、さらに当山ができること探しつつ今を精進していきたいと思います。
箸蔵寺による著作物の引用や転載の際は引用・転載元を明記していただきますよう、お願い申し上げます。