第20号特集.感謝の心―仏教に人権がない理由(H22.12.5)
○はじめに
人権とは、私たちが幸せに生きるための権利で、全ての人に備わった権利です。
現代の社会では、人権は無くてはならないものですが、仏教の教えの中には、人権を意味する言葉がありません。
今回は、なぜ仏教には人権がないのかをご紹介していきたいと思います。
○「生きていく」権利と「生かされている」感謝
現代の人権社会と仏教を比較すると、大きく異なるところは「生きる」ということに対する考え方です。
人権社会では、私たち人間が生きるということは当然であり正しいことだと考えられています。
このような考え方から人が当然のように生きていく権利(人権)という考え方が生まれてきたのです。
それに対して仏教では、人間が生きることは当然の権利とは考えられていません。
なぜならば、この世界には人だけでなく、動物や魚、木や草にも同じように全てものものに「いのち」があるからです。
もし、全ての生き物に生きる権利があり、その権利を認めたとすれば、全ての生き物は他の生き物を食べることができなくなり、食べるものがなくなって餓死してしまうことになります。
ですから、仏教では権利ではなく感謝という言葉が使われます。
仏教における「いのち」の考え方は、「生きている」ではなく「生かされている」です。
この世の中のもの全てには「いのち」がある。
それは全て尊いものである。
私たちが生きていくためには他の「いのち」をいただかなくては生きていけない。
ほかの「いのち」をもらったから、私たちは生きていくことができる。
あなたの「いのち」に感謝します。ごめんね、ありがとう。
という考え方です。
生きるためには奪って当然だという考え方ではなく、生きるために、やむなく頂戴しました という考え方なのです。
つまり、人権社会の「生きていく」権利は、仏教では「生かされている」感謝に当たるのです。
○感謝があれば権利は要らない
全ての「いのち」を尊重し、感謝する心があれば、欲望に任せて奪い続けることはなくなります。
また、生きているもの同士でも、自然と相手を思いやる気持ちや、分かち合う心が生まれ、権利などというものを大声で叫ぶ必要がなくなってきます。
権利を主張する世の中よりもっと心豊かな生き方ができるのです。
もちろん、いつもそんなにうまくいく話ではありません。
一人でも自分さえ良ければいいという人間がいれば、必ずしも良い結果にはなりません。
だから今の社会では人権というものが必要なのだと思います。
しかし、決して権利を最終目標としておくのではなく、感謝の気持ちをまず一番に持ち続けたいものです。
○おわりに
仏教の説く感謝の世界は理想の世界です。
「みんなが戦争をしないと決めれば核兵器や軍隊は要らない」
というのと同様に、
「感謝があれば権利は要らない」
というのは困難な話です。
しかし、この世の中には家族や、友人関係、ボランティアなど、権利以外で結びつき、お互いに感謝し思いやる関わりが確かに存在します。
そういう関係を少しでも広げていって、いつか人権などという言葉を口にしなくてもいいような心豊かな社会となっていくことを祈っています。
(以上)
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