第12号特集 .而二不二(ににふに)のお話(H18.3.15)
○はじめに
今回は「而二不二」という言葉をご紹介しようと思います。「而二不二」は、後の半分だけをとって「不二」と呼ぶこともあります。この言葉、普段はなかなか耳にすることの少ない言葉ですが、真言宗の中では、最も大切な言葉の一つです。
○一つは二つ、二つは一つ
それではまず、言葉の意味をご紹介して行きたいと思います。
「而二不二」とは、「而二」と「不二」の二つの言葉がくっついたものです。
・「而二」とは、一つのものを二つの面から見ることで、
・「不二」とは、二つの面があっても、その本質は「一」である、ということです。
一枚の紙を例にとって考えてみましょう。
・「紙には表と裏がある。」というのが「而二」にあたります。そして、
・「表と裏がそろって初めて一枚の紙になる。」と言うのが「不二」にあたります。
つまり、紙には表と裏という二つの面があり、その両方があるからこそ紙が存在しているというわけです。
このような、表と裏のような、切っても切れない関係が「而二不二」です。世の中には表ばかりのものや、裏ばかりのものはありません。また、表のないものには裏はなく、裏のないものには表はありません。裏は表があるから生まれ、表も裏があるからこそ生まれてきたものです。
○「知恵」と「慈悲」
言葉の意味のご紹介の次は、仏教の中で説かれている「而二不二」のご紹介です。
私たちの宗派、真言宗では、仏様の世界を大きく二つに分け、その二つの世界が「不二」であると説いています。
一つ目の世界は、仏様の持つ「知恵」の徳を表す「金剛界」、もう一つは「慈悲」の徳を表す「胎蔵界」です。
参考までに、檀家の皆さんが法事の前に箸蔵寺に取りに来られるご本尊様のお軸(三本)のうち、向かって左に掛けられるお軸が「知恵」の仏様の世界(金剛界マンダラ)のお軸で、向かって右に掛けられているお軸が「慈悲」の仏様の世界(胎蔵界マンダラ)を表しているお軸です。
どちらも大日如来様を中心として、たくさんの仏様が描かれています。
「知恵」の世界と「慈悲」の世界、これら二つの世界は別々に描かれていますが、実際には一つに融合しているものです。
つまり、だれか救いたいという気持ち(慈悲)があっても救う方法(知恵)を知らなければ救うことはできませんし、救う方法を知っていても、救いたいという気持ちがなければ、やはり救われません。
人間のお医者さんに例えると、病気の人を治したいという気持ちを持っていても、医学の知識や技術が不足していれば、正しい治療を行うことができませんし、どんなに腕のいいお医者さんでも、人を助けようという気持ちに欠けていれば結果は同じです。
「慈悲」を離れては「知恵」の徳はなく、「知恵」を離れては「慈悲」の徳は存在しません。
このように、仏様の世界では、「知恵」と「慈悲」は「不二」なのです。
私たちが仏様をお手本に、より良く生きていくためには「知恵」と「慈悲」どちらの心も併せ持ち精進していくことが大切です。
しかしながら、現代社会で問題となっている色々な出来事は、「知恵」を追い求めることを優先して、「慈悲」をおろそかにしているために起こっているものが多いように感じられます。
面白そうだという理由だけでパソコンを駆使して偽札を作ってみたり、爆弾を作ってしまったりする人々。
利益を上げるためならば、法に触れなければ(時には法に触れてでも)どんなことでもする企業など。
このような事件以外でも「自分さえよければ」や「自分のことで精一杯」は、あちこちに見られるように思います。
様々な情報や誘惑にふりまわされて自分を見失いそうになる世の中。
合理的に効率を追いかけるあまり、いろいろなものを切り捨ててしまう世の中。
一番最初に切り捨てられるのは、「○○のために」という「慈悲」の心なのかもしれません。
しかしながら、このような時代だからこそ「慈悲」の心を大切にしなくてはならないのではないでしょうか。
○生かされている
私たちは自分の力だけで生きているわけではありません。
たくさんの人々に助けられ、たくさんの人が作り上げてきた社会の仕組みに守られ、また、大自然からたくさんの「いのち」を分けて頂くことによって「生かされて」います。
私たちは「生かされている」ということに気づき、感謝をする気持ちを持つことができたならば、自然と「誰かのために」とか、「より良い社会にするために」とか、「自然に優しく」といった、「慈悲」の心が生まれてくるのではないでしょうか。
そして、「慈悲」の心から生まれる「知恵」は、さらにすばらしい知恵なのだと思います。
○おわりに
仏教に説かれる「而二不二」は他にもたくさんありますが、今回は「知恵」と「慈悲」だけを紹介させて頂きました。
機会があれば他の「而二不二」もご紹介したいと思います。
また、皆さんの周りにも「表」と「裏」のような「而二不二」の関係のものはたくさんあると思いますので、探してみてはいかがでしょうか。
(以上)
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而二不二箸のご紹介
箸蔵寺では「而二不二箸」の授与を行っております。
いつも携行して頂き、外食時や四国巡礼のお守り箸にお使い頂けると幸いです。
写真1
八角形の黒檀のお箸に天然の漆を使用しています。
合成樹脂等を使用していないので、体に有害物質が入ることはありません。
写真2
箸をまとめることのできる、特製箸置きと箸袋がセットになっています。
写真3
箸袋に書かれている南無大師遍照金剛の文字は、仁和寺第四十八世門跡である、佐藤令宜名誉住職の揮毫です。
初穂料は3,000円です。
メール お電話でもご注文をお受けいたしますのでよろしくお願いいたします。(送料別でお願い申し上げます。)
第12号特集 .而二不二(ににふに)のお話(H18.3.15)を読みました。
「而二不二」という言葉は何かのお経の中にあると思いますが、
【原典】を教えていただければ幸いです。八千部般若経?だったと思っていたのですが、????
最近、それは法華経ではとの話も聞きました。
鎌倉にて、平成25年12月28日
佐々木様 コメントありがとうございます。
お返事遅れて申し訳ありません。
「不二」という言葉は中阿含教、維摩経等に見られます。
「而二不二、不二而二」は唐代の天台僧、湛然の『法華玄義釈籤』に見られるようです。
『法華玄義釈籤』、『法華玄義』の確認はしておりませんが、おそらくこのような情報を入手されたのだと思われます。