菩提心31号-敬うということ(四恩の抜済)-

第31号特集.敬うということ(四恩の抜済)(H28.3.15)

今回は、人と人との関わり方、特に「敬う」ということについて感じたことをご紹介していきたいと思います。

お大師様は、敬うべきものとして「四恩(しおん)」というものを挙げています。
四恩とは簡単に説明すると「私たちが恩を受けているもの」という意味です。具体的には父母、国王、衆生、三宝(仏・法・僧)と言われています。
また、別に、大きく見れば生きとし生けるもの全てを指すなど、四恩には色々な考え方がありますが、いつか別の機会に詳しくご紹介したいと思います。

このような、感謝し敬うべきものである「四恩」に対し、お大師さまは著作の中で「四恩を抜済(ばっさい)」という言葉を使われています。
抜済とは「救う」という意味です。仏教の教えによって苦しみを取り除いたり、幸せに導いたりするという意味です。
敬っている人に対し「救う」などという言葉は取り様によっては「上から目線」と感じるかもしれません。
しかし、これは、「大切な人だからこそ幸せになって欲しい」という気持ちの表れです。

四恩をお大師様のご両親にあてはめた場合、ご両親はお大師様より先に生まれ、お大師様を護り育てた、お大師様にとっては敬うべき方々です。
しかしながら、お大師様が我が国で最初に真言密教を開いた方である以上、真言密教の教えに関して言えば、親の持っていないものを持っている人であり、親を越えた人と言えます。
だからこそ、自分の持てる真言密教の教えでご両親により幸せになって欲しいという気持ちが「四恩の抜済」の心なのだと思います。

このような考え方は今の時代に必要なものだと感じます。
相手に恩を感じ、感謝しているからこそ自分が得たもので相手の幸せや成長を願う、これは相手を心から思いやっているからこそできることなのだと思います。
そして、こういうことを行える間柄こそがお互いを高め合うことに繋がると思います。
「お世話になっているから何も言えない」とか「誰のおかげでご飯が食べられているんだ」などの、パワハラやモラハラの言葉が飛び交う世界では、お互いを高め合うことはできません。
それよりも、「大好きな方だからこそもっと誰からも尊敬できる人になって欲しい」、「大好きな国だからこそ、もっと良い国になって欲しい」、といった「想い」が相手に伝わる世の中であってほしいものです。

また、このような関係は目上や尊敬する人との関係だけでなく、全ての人間関係にも当てはまると思います。
相手を一つの側面だけで見ると上か下かのどちらかになってしまいますが、物事にはいろいろな物差しがあり、それぞれの物差しで見ると、同じ相手でもある時には上だったり、またある時は下だったりと、実は相手の本当の姿を見過ごしていることに気づくこともあります。
ですから、ある分野では師となり、またある分野では教えを請う、そんな関係こそがお互いを高めあうのだと思います。

格付け、マウンティング、スクールカーストなど、明らかに上下関係をつける言葉がよく使われる様になった昨今、お互いの悪いところを見つけて上か下かで判断するのではなく、お互いの良さを理解し吸収し、成長できる関係を見つけていきたいものです。

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