第19号特集.「真言」のお話(H22.3.15)
○はじめに
お経の中で、一番有名なものといえば、皆さん般若心経(はんにやしんぎよう)と答えられるのではないでしょうか。
この般若心経の最後に「ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか」という言葉がくっついています。
これは、「真言(しんごん)」と呼ばれるもので、私たち真言宗の宗派の名前になっているほど大切なものです。
今回は、この「真言」とはどういうものなのかをお話しさせていただきたいと思います。
○真言とは
真言とは、サンスクリットという、古代のインドの言葉でできているものです。
般若心経以外で有名なものは「おんあぼきゃべいろしゃのう…」で始まる光明真言(こうみようしんごん)があります。
また、お葬式から四十九日までの間、お六日ごとに唱える十三仏さんの真言をご存じの方もいらっしゃると思います。
それではなぜ、真言がサンスクリットなのかご説明したいと思います。
お経には、色々な種類があり、一口にありがたいお経といっても、いろいろなありがたさがあります。
これらのお経を、「どうすることによって功徳(ご利益)があるか?」という考え方で、大きく二つに分けてみると、
・「○○をしてはいけない」、「○○を守らなければいけない」など、そのお経に説かれている内容を実践(じつせん)すると功徳があるといわれているもの
と、
・内容だけでなく、そのお経自体に力があり、それをくり返し唱えたり、写経することによって功徳が生まれるといわれているもの
の二つに分けられます。
般若心経は後者にあたります。
これらのお経は、一度より二度、二度より三度唱える方がご利益があり、また、一人で唱えるよりも大勢の人で唱えることにより功徳が何倍も増えるというものです。
また、般若心経を写経してお寺に納めるという風習も、このようなところからきているのです。
今日のお話の中心となる、真言の部分ももちろん後者です。
ただし、真言が他のお経と違うところは、その真言の「音」自体に力があるというところです。
そのままの言葉が「真の言葉」なのですから、真言の部分は絶対に他の言葉に訳してはいけないといわれているのです。
そのため、仏教がインドから中国に渡り、日本に入ってきても、真言の部分だけはそのままの形で伝わってきたのです。
般若心経でも、最後の部分だけが漢文に訳されていないのはこのような理由であり、つまりは、般若心経の中で、真言の部分が一番大切な部分なのです。
○おわりに
般若心経は、たくさんの仏教の宗派で使われており、宗派ごとに違った解釈がされていますが、真言宗では、最後の真言の部分が最も大切だという考え方を取っています。
皆さんもお仏壇に向かって般若心経を唱えられることがあると思いますが、その際に、このお話を思い出して、真言の部分に特に思いを込めてお唱えしていただけると幸いです。
(以上)
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