菩提心26号-「秘密」のお話-

第26号特集.「秘密」のお話(H25.12.5)

○はじめに

仏教には色々な種類がありますが、その中で真言宗は密教とよばれる仏教です。
密教の「密は「秘密」の「密」です。
今回は「秘密」について真言宗の立場からお話ししていきたいと思います。

○今は教えてもらえない秘密-如来秘密(にょらいひみつ)

真言密教の考え方では、秘密は大きく分けて二つに分けられます。
密教といえば、衣の中で印を結ぶなど、人に隠れて不思議な儀式を行っているイメージを持っている方も多いと思います。
これは密教の教えが難しく、デリケートなもので、言葉の説明や見よう見まねでは簡単には理解できないからです。
ですから密教を志し、本気で取り組む人にしか何をやっているかを見せないのです。

カッターナイフは紙を切ったり荷物をほどいたりと、使いこなすと本当に便利なものですが、赤ちゃんに持たせると、ケガをしてしまいます。
ですから、大人は、子どもが本当に使いこなせると思った時までそれを与えません。

このような、今はまだ教えてもらえない秘密のことを、仏様の方から隠しているという意味で「如来秘密(によらいひみつ)」と呼びます。

○気づかないという秘密-衆生秘密(しゆじようひみつ)

これに対して、せっかくヒントがあるのにそれに気付かないと言った、自分の方で秘密にしてしまっているものもあります。

小説のシャーロックホームズのような名探偵は、依頼人が訪ねてきただけで、その人の職業や出身、家族構成、相談の内容まで言い当てたりします。
それは名探偵が、依頼人の身なりや行動、言葉遣いから、その人を知るためのたくさんのヒントを見つけることができるからです。
普通の人は、同じ人が訪ねてきてもそんなにたくさんのヒントに気付くことができません。

真言宗ではこのようなものも、「本人が知らない」という意味で秘密と考えます。
このような秘密のことを、自分で隠してしまっているという意味で「衆生秘密(しゆじようひみつ)」と呼びます。

高野山大学元学長で、元真言長者(しんごんちようじや)の松長有慶(まつながゆうけい)猊下が以前、大学の講義で、
「悟り(真理)とは目に見えない電波のようなもので、誰の周りにもある。それを受信できるラジオを持つことができれば誰でも悟ることができる。」
とおっしゃっていました。

同じテレビを見たり、同じ所に行ったり、同じ出来事を経験しても、何も感じない人もいれば、そこから何かを学ぶ人もいます。
命の重み、家族の大切さ、時には新しい発見など、持っている受信機(=感性)によって、気付くものは様々かもしれません。

○おわりに

秘密という言葉は「内緒にする」というイメージが強いですが、真言宗の秘密は、決して意地悪で内緒にしている秘密ではありません。
秘密は、それを知っても大丈夫な力が身につくと明らかになるものです。
世の中にはたくさんの秘密とたくさんのヒントがちりばめられています。
これらに気付くのは自分次第です。
もしかしたら秘密の方も、早く自分を理解してくれ、明らかにしてくれる人が現れてくれることを楽しみに待っているかもしれません。
せっかくの世の中からのヒント、たくさん受け取れる受信機を持ちたいものです。

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