第25号特集.永代供養と感謝の心(H25.3.15)
○はじめに
菩提心二十三号にも紹介しましたが、私たちは父、母、祖父母、曾祖父母、それ以前のたくさんの先祖を持っております。誰か一人でもいないと自分はこの世にいません。ですから、先祖に感謝し敬うことが大切だと述べました。
最近、永代供養(えいたいくよう)と呼ばれる供養のスタイルが増えています。永代供養にもいろいろな意味がありますが、ここでは「身寄りが無く、自分が死んだ後の供養をしてくれる人がいないので、お寺や業者に依頼して自分の死後もずっと供養をしてもらうこと」という意味の永代供養についてのお話です。
○永代供養の現在
今は少子高齢化が進み、生きている間でも面倒を見てもらえる家族のいない時代になりました。このような時代には死んだ後をずっとお祀りしてもらえる永代供養も必要なものかもしれません。
しかしながら、最近ではいろいろな考え方の元に生まれた永代供養が増えてきたように感じます。そして、その中には少し心配な考え方の永代供養も増えています。
本来は先祖に感謝し、先祖を忘れないための永代供養。先祖を含め、自分を供養してもらいたいという永代供養ならば良いと思うのですが、自分や夫婦だけ申し込んで、先祖はともかく自分たちのことだけは拝み続けて欲しいという考え方の永代供養が見られます。
また、子孫がいるにも関わらず、どうせ面倒を見てもらえないからとか、子供に負担をかけたくないからという理由で永代供養を申し込まれる方もいます。
逆に、子供の方からも、分家でお墓を持っていないからとか、ずっと法事を行っていくのが大変だという理由で永代供養にしてしまうという話も聞きます。
○先祖に感謝するということ
このような方々に申し上げたいのは、先祖に感謝し供養するということは、「先祖自体を幸せにする」ということだけでなく、「先祖を大事にする感謝の心を持った人間を作る」ということです。そして感謝の心を持った人間として人生を全うすることが、死後の悟り「成仏」につながるということです。簡単に言うと、
「私の人生は、生きている間中ずっと、自分を生み出してくれた父母や先祖に感謝の気持ちを忘れなかった人生でした。」
という人と、
「永代供養をしてからは、安心してあまり先祖の感謝の気持ちも思い出さずに気楽に生きられた人生でした。」
という人。
仏さまはどちらを評価し、どちらを成仏させてくれるのか、ということなのです。
子供に迷惑をかけないという理由の永代供養は、一見子供のためになっているように思われますが、本当は、子供から大切なものを奪っているのかもしれません。
永代供養は安心して先祖を忘れるためのものではありません。感謝の気持ちを忘れずに持ち続けるということは、供養であり、また、「よく生き、よく死ぬための修行」なのです。
ですから、法事をするしないではなく、自分が生きている間は、自分の出来る形で先祖を想い続けて欲しいと思っています。
箸蔵寺では、先祖を捨て、楽になるための永代供養は受け付けていません。
○おわりに
永代供養にかかわらず、先祖に感謝し供養する形は、お家ごとに様々です。今回のお話は、仏事を行う、行わないという、「形」の話というよりも、死ぬまで先祖に対する感謝の心を忘れないという「生き方」の話としてとらえていただけると幸いです。
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